「やり直しの時」  01.11.18   ネヘミヤ9:30〜10:1、ヘブライ10:11〜14

 <まことに憐れみ深いあなたは、彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず、見捨てようとはなされなかった。
まことにあなたは恵みに満ち、憐れみ深い神。>(31節)
 この深い信頼の中、イスラエルは、もう一度やり直していきました。
 神の民イスラエルは、ずたずたにされた民でした。彼らは、その悲劇と混乱が神に背いたことを発端と
していることに気づきました。神への背きはイスラエルに限らず混乱と荒廃を生み出します。

 
私たちは罪を抱えており、また様々な限界を持っているからです。
神に創られた者が、神抜きに正常に機能できるはずがありません。
そこには悲劇の深まりはあっても、真の立て直しはありません。


 立て直しの時にイスラエルがしたことは、
 第一に神殿の再建でした(エズラ記)。礼拝を土台におくことでした。
神に背くことからすべての混乱が生じるのであれば、ここにしか解決の糸口は生まれはしません。

 第二は、ネヘミヤという指導者による城壁の再建です。城壁の再建とは、単に町の再建にとどまりません。
それは、神殿を守る城壁であり、礼拝を土台とする生活を守る信仰の城壁をも意味します。
神に従う決意の現れともいえます。神は、その城壁の再建を助けてくださいました。
同じく私たちの決意をも助けてくださいます。

 神殿と城壁の再建によって人々は喜びました。その喜びの後にあたる9章で、罪の告白がなされます。
人の勢いはもろいものです。イスラエルは、神殿や城壁を再建した自分たちの勢いを過信はしませんでした。
過去を振り返り、自分たちの弱さをわきまえます。ただしここは、罪の告白以上に神の憐れみ深さが告白されています。
何よりも神の憐れみの深さを確認して、立て直しがなされていきました。弱さをわきまえつつ、その弱さゆえの失敗に
恐れるのでなく、憐れみ深さへの信頼の中で謙遜に進みます。
 そのようにして、神と共に立て直す道が本物となっていきます。